シナリオ習作集⑤『365日の食卓』

現在通っているシナリオ教室で提出した課題を掲載しています。

忌憚のないご意見をいただけるのを心待ちにしております。

 

課題 一年後

(20x10)の原稿用紙に8枚

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題 : 365日の食卓

 

人 物

二階太陽(24)フリーター

リサ・タテモリ(23)日系三世のアメリカ人

山本健(22)同居人の大学生

住人達

 

▼ 本文 ▼

 

○シェアドーミーJAF(夜)

   学生寮のような4階建ての集合住宅。

   一階の出窓に明かりが灯っている。

 

○同・一階ダイニング(夜)

   広々とした空間にテーブルが並ぶ・

   様々な人種が数人、自由に寛いでいる。

   独り座る二階太陽(24)にノースリーブのリサ・タテモリ(23)が話しかけている。

二階「へぇサンフランシスコから来たんだ?」

リサ「ハイ~。私ノおジィサンハ日本人ね! ワーキングホリデーで一年住ミマス!」

二階「俺はシスコに住んでみたいよ。ピクサーとか、アニメーションの中心地だもんな」

リサ「ハァ、ナンデソレデ住みタイの?」

二階「俺は昔、学校でCGの勉強してたんだ」

リサ「ナルホド~、アナタはアニメーターね」

二階「まぁ今は辞めてバイトばかりだけど……」

リサ「ハァ、ナンデ?」

   口をつぐみ俯く二階。

リサ「トコロデ、何食べテタの?」

   二階の前に空の皿。

二階「今日はカレーだったよ」

リサ「オ~、カレー! オイシソウ!」

二階「知ってるの、カレー?」

リサ「モチロン~。日本ノ料理はホント有名。カレー、オムライス、お好ミ焼キ!」

二階「へー、よかったらまた作ってあげるよ」

リサ「ホント~⁉ ウレシな~」

   笑顔で飛び跳ねるリサ。

 

○同・キッチン(夜)

   空だった二階の皿にカレーが盛られる。

   エプロン姿の二階とリサ。

   リサはケータイでカレーの写真を撮る。

   山本健(22)が近づいてきて話しかける。

山本「うまそ~! お二人で作ったんすか⁉」

   ダイニングから人が集まり輪ができる。

   気恥ずかしそうにはにかむ二階。

   食卓に置かれるリサのスマートフォン

   画面にカレーの写真。次々とスライド。

   そうめんを食べる二階とリサと山本。

   おでんをつつく三人と他の同居人。

   おせちを前に年越しそばをすする三人。

 

○同・ダイニング

   十数人が集まりテレビを囲んでいる。

   画面には並んだシェアハウスの住民たち。

住民達「健、就職おめでとう! 向こう行っても元気でな~!」

   画面が特殊効果で消え、動画が続く。

   手を叩き喜ぶ山本とパソコン前の二階。

   背中越しに覗き込み微笑むリサ。

 

○同・外観(朝)

   植込みのアジサイが雨に打たれ揺れる。

 

○同・玄関(朝)

   靴置き用の棚と郵便受けが並ぶ。

   靴をはくキャリーケースを携えたリサ。

リサ「それジャあ、今マデありがとう」

   ひとり見送る太陽は俯いて黙っている。

リサ「コレ私から。太陽ほど上手くナイケど……」

   二階、差し出されたDVDを受け取る。

リサ「今度ハあなたがシスコに来てネ。約束」

   リサ、背を向け立ち去る。

 

○太陽の部屋(夜)

   パソコンを開きリサのDVDをかける。

   画面に次々とスライドされる写真。

   作るたびにリサが撮影していた料理。

   BGMが途切れ、画面が暗転する。

リサの声「太陽、あなたハ何でもできるのに、何で持て余シてるの? 人の為にベストを尽くすあなたハ輝いてる……自信を持って」

   二階、膝上の握り拳が震えている。

 

○同・玄関

   眩い日差しに、二階のシルエット。

   キャリーケースを携え外へ踏み出す。

 

 

◆ 講評 ◆

○ワーキングホリデーに来たリサと知り合い、一年経ったのですね。同居人が就職、アジサイが雨に打たれる頃、集合住宅を去るリサ。その後、彼女の撮った一年間の食事のDVDを見る二階。録音されていたリサの声に励まされ、二階も眩しい日射の中へと踏み出してゆく。一年後の二階の成長が描かれていました。素麺やおでん、おせちで一年が描かれていましたが、さらに同居を始めた頃の季節が描かれてあれば、一年という時間経過が分かり、もっと良かったと思います。アジサイの前だから五月頃でしょうか。

 

△ 訂正 △

○「……」の一部がマス外に書かれていましたが、改行してマス内に収めてください。

●空の皿にカレーが盛られるシーン。時間の経過を現すなら、別に新たに柱を立てる必要はなかった。

○ ○同・キッチン(夜)の前に一行空けていましたが、ページが変わったときには空けなくてもOKです。

○「おでんをつつく三人」などの『三人』は、誰と誰と誰なのか書いてくださいね。

○セリフの続きで行が変わり3マス空けているところがありました。1マス空けるようしてください。

○途中で『二階』のことを『太陽』としていた部分がありました。ト書では男性は苗字です。

○「パソコンを開き~」の箇所では柱が変わっていたので「二階は~」と描写してください。

● 誤 ○同・玄関 →  正 ○シェアドーミーJAF・玄関

 

※ ○は先生からの意見。 ●は自分自身で気づいたこと。

 

 

第四話_ミエナイチカラ_4・16地震の日

4話

 

 

 

旅行中

神がかり的なタイミングで

熊本地震に遭遇した私たちは

寸断された道路をぬい

とうとう被災地、阿蘇を脱出したのであった。

 

 

 

 山道を抜けると

 そこは大分県西部

 豊肥本線滝水駅のあたりだった。

 

「トイレだ!」

「自販機だ!」

「店がやってるーーー!」

 

 寂しい通りに一軒ポツンと店がある。

 昭和の時代から抜け出したような

 小さく、少しくたびれた雑貨屋。

 中に入ると棚に菓子や、水が置かれている。

 店先には自販機が並び、

 対面の駐車スペースには公衆トイレまである。

 電気がある、水が流れている!

 助かったと確信したとたん

 やっと皆の顔に曇りのない笑顔が戻ってきた。

 あとは主要道にそって

 東へ向かうだけだ。

 

 それにしても…

 

「…もっと逃げる人でごった返すかと

 思ってましたけど」

 

 あたりに車通りはおろか

 無駄な雑音一つなくシーンと静まり返っている。

 

「みんな、まっすぐ北の道にいってるんだろうね」

 

 この山道を選んで下りてきたのは

 どうやら自分たちだけらしい。

 きっと北へ向かっていたら

 いまだに渋滞から抜け出すことが出来なかっただろう。

 自分たちはどうやら当たりくじをひいたようだった。

 

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 店での買い物を終えると

 車の前では台湾人の女性、コウさんが

 ひとりたたずみ、うつむきながら

 ケータイ電話を耳に当てながら

 何度も小さい頷きをくり返している。

 肩までかかる黒髪が艶やかに垂れ下がり、顔を覆い、

 どんな表情をしているのかまでうかがうことは出来ない。

 

「家族ですかね」

「だろうね・・・」

「ほら、昨日バーベキューのときに

 スカイプつないで連絡してたじゃん」

 

 地震の日直前の晩に

 何も知らずバカ騒ぎしたバーベキューのようすを

 ご丁寧にも海を越えて家族に実況していたのを思い出した。

 

「家族は心配してると思うよ

 外国で娘が地震にあったっていうんだから」

 

「たしかにそうですよね…」

 

 みんな気づいたようにケータイ電話をいじりだす。

 お互いの声が入ってこないよう

 皆が少しずつ距離をとり

 遠く離れた家族へ向けて無事を知らせている。

 

 ただ僕だけは何もせず

 手持無沙汰な心持で車に寄りかかり

 みんなの電話が終わるのを待っていた。

 

「コウヘイは電話しないの?」

「…ちょっとナビに疲れて、あとでしますよ。」

「そう…? すぐにした方がいいと思うけどなぁ。」

 

 その時、僕の太ももが震え出す。

 ポケットからケータイを取り出すと

 それは母からの着信だった。

 

 驚きで思わず身がすくみ、手が固まる。

 そのままケータイをポケットにしまい直そうとしたが、

 どうしても忍びがたく

 とうとうためらいつつも着信に応えた。

 

「…もしもし?」

「あんた、大丈夫なんか!

 阿蘇に行ってるんやろ?」

 

 久しぶりに聞いた母の声は

 思わず耳元から離したくなるほど

 キーンとよく響いた。

 

「え、なんで知ってるの?」

「なんでって、フェイスブック阿蘇に行くって書いていたから…」

 

 たしかにずっと昔、

 母とフェイスブックのアカウントを交換していたはずだった。

 今まで一度も「いいね」などしてもらったことないが

 なんだ…、知らないところでいつも見ていてくれていたのか。

 そう思うと、言葉が詰まり、

 ただ何も言えず立ち尽くす。

 

「あんた、大丈夫なん?

 今どこなの?!」

 

 感情があらわになると声を張り

 怒ったような口調になるのが

 母のしゃべり方の特徴だ。

 

「あ、うん…。夜、寝てるときに地震があってな。

 泊まってたとこのもんが

 バンバン落ちてきて大変やったわ。

 誰もケガせんかったからよかったけど…」

 

 母はため息をつくと、

 

「もう、心配させんといてぇなぁ~。」

 

 心配そうに声色のトーンが落ちても、

 相変わらず声量がでかく耳に響く。

 

「あんたがどこで何してようといいけどなぁ。

 あんまり心配かけさせんといてぇ。」

 

 僕は失笑気味にほくそ笑むと、

 

「いや、しゃーないやん。突然の地震やったんやから。

 心配かけさそう思って九州行ったんちゃうわ!」

 

「そらそうやけどぉ、無事に帰ってきいなぁ?

 ほんまそれだけで充分やから。」

「…うん、わかった。

 もう阿蘇は抜けたし、あとは大分市に下りて、

 それから大阪に帰るだけやから。」

「ほんまかぁ?

 もう大阪じゃなくて、一旦地元に帰っておいで。

 顔見せにだけでもいいから。」

 

 思いがけない言葉がズブリと、

 胸に刺さった音が聞こえた気がした。

 

「いや、ほんまそういう話はあとでいいから。

 それじゃ、行かなあかんし、切るな。

 また無事に帰れたら連絡するから。」

 

 そう告げると僕はケータイを切った。

 

「なんや、もういいんか?」

 

 ボチボチと集まりだしたメンバーが

 車の中から声をかけてきた。

 

「うん、別にもういい。」

「そうかぁ。」

 

 そういって助手席に戻ると

 再びケータイをポケットにしまい直した。

 

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 大分県大分市熊本県阿蘇とをつなぐ国道57号線「豊後街道

 周辺地域の大動脈にも関わらず交通量はまばらで、

 穏やかな田園風景が一面に広がっている。

 

 ラジオが語るには

 熊本を抜け出す車の流れは

 大分市北部で滞り渋滞を起こしているらしい。

 つまりそこにいたるまで、渋滞はないらしい。

 まだ30キロほど離れている。

 順調すぎる行程。

 もはや気を回すことなど何もない。

 ただボケっと流れゆく景色を見つめながら

 変わらずそこにある

 彼方の山並と空の境界を視線でなぞり続けていた。

 

 目に見えていても、見えないものはある。

 先ほどから目に映るその景色も

 頭の中で像を結ばず流れおちる。

 

 代わりに目の前によみがえってきたのは昔の光景。

 夢も目標もなく、

 ただ25年間、居座り続けた実家から飛び出して

 大阪へと出てきたころの自分の姿。

 

 その時の光景。

 その時に両親に放った言葉。

 今でははっきりと思い出せない。

 ただ激しく憤り、叩きつけるような言葉を残し

 両親は去る僕の背中を見送った。

 

 思い出したくもない醜態。

 蓋をしてしまいたい記憶のはずなのに、

 今では懐かしさすらただよう

 それが心地よくて仕方がない。

 

 

 

 どうしてこんなにも感傷的になってしまったのか?

 全部さっきの電話のせいだ。

 ろくに眠れなかった夜のせいで、

 窓辺に寄りかかると、まぶたが垂れ下がってくる。

 後ろの座席を覗き込むと、みんな肩を寄せ合って眠っている。

 運転席のジョーだけが、

 肩肘を張った美しい姿勢をキープしていた。

 

 こだまのように頭の中で響く

 電話での母の声をかき消そうと

 流れてくるラジオに耳を傾ける。

 

熊本県各地で停電や断水が起こっています。

 該当の地域は…。」

 

 いつしか僕は昨夜の光景の中にいた。

 ペンションから避難をし、

 寒く凍える夜を過ごした車の中。

 皆が寝静まる直前までエンジンをふかし

 室内に暖房を入れていたにも関わらず

 数十分もすると足元から冷えてたまらない。

 指先はしびれ、くるぶしからふくらはぎはガチガチに固まっている。

 眠れない・・・。

 曇ったフロントガラス一面をすかして

 ぼやけた阿蘇の星明り眺めながら

 静かにラジオに耳を傾けていた。

 FMラジオのパーソナリティーが、

 普段は明るく弾むような声色をおとし、

 リスナーに対して諭すように落ち着いた声で語りかける。

 

「被災されてる皆さん。

 電気のつかない中、

 心細く不安な夜をお過ごしかと思いますが

 どうか気持ちをしっかりと持ってくださいね

 私たちも同じ被災者ではありますが、

 こんなときだからこそ私たちにもできることとして、

 ラジオを通してリスナーの皆さんに

 元気を分けることができればと思っています。

 

 それでは曲かけましょう。

 少し懐かしい曲ですね。

 ビーズで『ミエナイチカラ』。」

 

「なつかしいな…」

 

 誰もが寝静まった車内で

 僕はひとり、ほくそ笑みながらつぶやいた。

 ビーズらしいかき鳴らすようなギターのサウンドから曲は始まる。

 小学生の頃の夏休みに

 よく観ていたアニメ

 『地獄先生ぬ~べ~』のエンディング曲。

 毎日このアニメを観るのが楽しみで

 実家のリビングのテレビで

 かじりつくように観ていた。

 年の離れた弟が生まれてからも

 子守がてらたびたび観ていたし

 そんな日々から10年以上月日が経った今でも

 よく耳に残っている…。

 

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『夢ならあるはずだ

 あなたにも僕にでも

 見つかりにくいだけだ

 忙しすぎて     』

 

 

 

 確かに自分には夢があった。

 長い間自分の胸の中だけに秘めて生きていた。

 

 ぼんやりと幼いころから

 ゲーム会社に勤めてバリバリ働きたい。

 それか自分で小説やマンガなどの作品を書いて

 アーティストとして生きていきたい。

 そう思ってすごしていた。

 

 だけど小、中、高校と

 ずっと学校になじめずにいた僕は

 いつしか学校に通うのが嫌になり、

 16歳ごろになると、まっすぐ学校に通うことが出来なくなった。

 そのうち教室に入ることが、

 学校の玄関に入ることが、

 門柱を見かけるだけで体が動かなくなり、

「行かなきゃ」という思いと「行けない!」という思いで

 頭の中は錯乱し、

 激しい頭痛、不眠、耐えがたい苦痛に悩まされるようになった。

 遅刻、欠席が積み重なり、

 高2の冬、進学できなかった僕は

 とうとう高校を辞めざるを得なくなった。

 一つ下には年子の妹の同級生がいた。

 

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『ミエナイチカラ

 僕を今動かしている

 OHー!

 その気になればいいよ

 未来はそんなには暗くない

 

 WE‘LL BE ALRIGHT,

 GOOD LUCK, MY FRIENDS.

 

 愛する友の言葉を

 忘れはしないよ 』

 

 

 

 高校を辞めてからは

 外出する必要もなくなり、

 ほとんどの時間を自分の部屋でぼんやりと過ごすようになった。

 

「恥ずかしい。情けない。どうしてこんな目にあった?」

「誰もこんなオレを見ないでほしい。」

 

 生まれ育った小さい町では

 どこで何をしていても、知り合いの目につく。

 

「あそこの息子さん。高校も辞めて、仕事もせずにプラプラしてる。」

「なんで高校やめたんでしょうね?」「これからどうするんでしょう?」

 

 いつか父、母の耳に入らないとも限らない。

 同級生とも顔をささないとも限らない。

 そう考えると、怖くて、怖くて、

 家族以外と顔をさすだけでも震えが止まらず、

 時折親戚や母の友達が自宅にたずねてきても

 たまらず自分の部屋に閉じこもる。

 

 部屋にはゲームと本しかない。

 ケータイもパソコンもなく、

 細くとも切れずにいた友達との連絡先は

 もう会うこともないと自ら切った。

 

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『一体どんな言葉だった

 本当に言いたかったのは

 いくら舌打ちしても

 戻らない日々よ  』

 

 誰とも会わない。何も手につかない。

 ほとんどの時間を自宅のベッドの上で死んだように横たわり、

 一年近く過ごしていた僕を

 父は家業を手伝うよう誘ってくれた。

 

「お前にもいろいろあって、働くことが難しいやろう?

 それなら家の仕事の手伝いから始めてみんか?

 それならある程度融通をきかせてあげれるから。」

 

 父の仕事は漆塗りの職人で、

 仏壇や寺の内装を塗り直しを生業としていた。

 あいにく僕はそんなことに興味のかけらもなかった。

 今頃、同級生たちは、自分の好きな仕事に就くために、

 進学して、就職して、

 人生を楽しんでいるんだろうか?

 それなのに、自分ときたら、

 みっともなくて、情けなくって、

 普通に生きている人たちが

 はらわたが千切れるほどうらやましくって

 誰を怨めばいいのかわからないほど悔しかったが、

 それでもこのままではいけないと、

 父の下で働くことになった。

 

 自分の人生をやり直すには、健康な体がいる。

 心の病気を治す必要がある。

 お金もいる。

 自分勝手に学校を辞めて、働き口まで世話になって

 さんざん悲しませた、悩ませたからには

 もう一度、自分の人生をやり直すには、

 自分の力で何とかしたい。

 そういう思いから、

 何年も、何年も、

 なかなかうまくいかなかったが、

 自分のペースでじっくりとお金を貯め続けた。

 重ねていく年に焦りを感じつつ、

 膨らんだつぼみのように、

 孤独と期待と不安に張り裂けそうな思いを

 必死にこらえつつ。

 

 だけど二年前、

 どうしても仕事を辞めなくてはならない羽目になって、

 今まで抑えていたものがあふれ出してきた。

 

 なんで自分は何もかもうまくいかないのか。

 学業も、仕事も、あきらめなくてはいけないのか。

 世の中、誰だって苦労しているってわかっている。

 自分だけ苦労しているなんて思ってない。

 だけど、自分の背負っているものが大きすぎないか?

 

 自分は、学校も、就職も、

 たんなる友達づきあいすらも

 何もかもガマンしてきた!

 いつか救われると思って、

    でも自分には自分には何もない。

 何もない!

 どうしてこんな人生になった?

 鬱になって学校に通えなくなったとたん

 病院にでもぶち込んでくれたなら。

 適切な処置をしてくれたなら。

 人生の方向を間違えたとき、

 親として、しっかりと口をはさんでくれたなら、

 こんな思いせずにすんだんだ!。

 

 なぁ、オレを利用したんだろ?

 家業でオレの稼ぎを利用していたときもあっただろ?

 オレが抜けたら困るときがあったよな?

 そうやってオレを利用し続けたんだ。

 だらだら年くって、

 大学通う妹や、これから通う弟のために、

 学校をあきらめさせたくない。

 人と同じような道を歩んでほしい。

 自分のようにはみ出し者として、

 悲しくて、つらい思いをさせたくない。

 そんなオレの気持ちを、知らず知らずのうちにでも利用して、

 この店に縛りつけていたんだろう?!

  家業の店を手伝わせてたんだろ?

 そうだろ?

 そうじゃなかったら、

『これはあなたの人生なんだから、気にしなくていいんだよ』

『これからずっとやってく仕事なんだから、

 変わりたかったら、助けてあげるよ』

 って、言ってくれてもよかったじゃないか!

 知ってたくせに…

 オレの気持ちを知ってたくせにっ!!

 

 なんだ、こんな店!

 なんだ、こんな仕事!

 結局、自分を苦しめただけだ!

 何の助けにもなってくれなかった!

 

 お前ら家族が足をひっぱる!

 オレがお前らを助けても、オレにはいいことなんて何一つもなかった!

 お前らといると、ロクなことがない!

 どうして自分ひとり、こんなに不幸を背負わないといけないんだ?

 生まれてこなけりゃよかった…。

 こんな家にも、こんな自分にも、

 生まれてこなけりゃよかった!!!!

 

 

 

 そう叩きつけ家を飛びだし、

 自分の好き勝手に生きるようにした。

 地元の田舎町では自分の興味の引くものなど何もない。

 大阪に出てプログラミングやマンガの描き方など習いながらすごした。

 ただ正規の学生ではない。

 学び続けても仕事が見つかるわけでもなく。

 それでも、学校や家業も務まらなかった自分が、

 どこか一つのところに収まり、働き続けることなんて

 できるはずがない。

 自分はそんな人間なんだ。

 堕落して、間違いばかり犯す

 どうしようもない人間なんだ。

 そんな絶望感を抱えながら、

 いつしか資金が枯れ

 無計画に学んでいたものをすべて止め、

 それでも実家に戻る気にもなれず

 居場所を失って、

 それでも埋まらない何かを求めて、

 漠然と、楽しそう。と、

 何かあるかもしれないと、

 流れ着くように、今住んでいるシェアハウスに流れ着いた。

 

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『ミエナイチカラ

 だれもが強く繋がっている

 何も大したことじゃないよ

 そばにいても離れていても

 昨日 今日 明日と

 笑顔のあなたはいつでも

 この胸にいるよ      』

 

 

 

 次から次へと口からあふれ出す 

 家族への暴言、世の中への恨み節

 このまま実家に住み続けたら、家族のみんなを傷つける。

 そう思いう思いで家を飛び出した。

 それまでにどれほど両親を傷つけただろう。

 なるべくそのことを考えまいと

 心に蓋をし生きていた。

 

 だけど両親はいまだに

 こんな自分にも情けをかけてくれるのだ。

 

 自分の招いた不幸の原因を家庭になすりつけた

 そんな自分を

 誰からも見放されても仕方がない自分を

 それでも心配し

 まだ遠くからでも見守ってくれていた。

 

 それを思うと自分の

 実家を出ていってから決して開かなかった固い心のふたが

 きゅっとゆるんで

 溜まって言葉が思わずため息となって噴き出してきた。

 

「わかってたけど・・・

 やっぱオレ…、間違っていたんだな。」

 

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大分市

 

「道路混んでるね~」

「みんな九州を出ようとしてるのかな?」

 

 北へ向かう海岸線の道は混雑していた。

 ゆっくりとは進んでいるものの、

 博多駅前から出る深夜バスの時間に間に合うかが心配だ。

 

「なんかさっきも余震があったけど」

「どうも震源地が大分方面に移動しているらしいよ」

 

 これまでも何度となく小さな余震があり、

 ニュースを確かめると、震源地が少しずつ北東に移動していた。

 

「もしかしてオレらが地震呼んでるんじゃない?」

「こんな奇跡ある?」

「迷惑かかるから

 早く大阪帰ろうぜ!」

「今度大阪に地震きたらどうすんだよ!」

 

 メンバーのみんなはすっかり緊張感がゆるんでいて、

 車内は和気あいあいとした雰囲気に満ちていた。

 

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 シェアハウスに住んだ理由は

 孤独だったから

 

 高校を辞めたころの自分は

 たまに書店や散歩なども行きはしたが

 狭い町だったから

 こんな情けない姿を人にみられたくないと

 しだいにふさぎ込み

 やがて外にも出られないようになってしまった。

 

 生きているだけで恥だと

 当時の友達全員と連絡は断ち

 それからも周囲との接点を

 持たないようにしていた

 それでも自分はひとりが好きなんだ

 気楽なんだと

 自分自身に言い聞かせて暮らしていた。

 

 でも心の底では

 人と同じように生きられなかった

 コンプレックスに加えて

 そういう風に友達と旅行して

 楽しむなどという

 ごく普通の若者としての経験に

 心の底では

 身が悶え、わが身を呪うほど、

 悲しく、静かに飢えていたのだ。

 

 決して幸せだったとはいえない

 ツライことの方がはるかに多かった。

 それでも自分は愛され、

 自分らしく生きることを応援してくれる人がいる

 そんな幸せに

 今さらながら気づかせてくれた

 不謹慎ながらもそれが

 それが自分にとっての九州、熊本旅行であった。

 

 

 

 

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第3話_阿蘇からの脱出_4.16地震の日

れまでのあらすじ

 

 旅行中に熊本県阿蘇村で地震にあい

 車で避難するものの

 寒さと鳴りひびくサイレン音で

 眠れぬ夜を過ごした僕たちは

 夜が明けると同時に

 阿蘇脱出に向けて動き出した。

 

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 とりあえずペンションのオーナーにあいさつしようと

 ペンションへ引き返す。

 

 夜中に避難した時には

 暗くて何も見えなかったが

 ペンションへ向かう農道には

 田畑を囲う石垣が崩れ

 人の頭大の岩がゴロゴロとあたりに散らばっている。

 

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 落ち着いた雰囲気だったペンションの受け付けは

 窓辺や机に飾り立てられた置物などが床に散らばり

 一歩足を踏み入れるとガラス片を踏んだのか

 ジャリっと音が鳴る。

 停電か、それとも照明が砕け散ったのか部屋の中は窓から差し込む光だけが頼りだ。

 

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 ほどなくしてオーナー夫妻がやってきた。

 これから大変ですね。と言葉をかけると、

 早々に出発することを伝える。

 

「これからどちらに行かれるんですか?」

「ともかく福岡へ引き返そうかと思います。」

「それなら北のやまなみハイウェイから阿蘇を出るか

 遠回りになるけど、東に出て

 延岡か大分に出て回り込むかになるね。」

 

 西へ向かうルート、阿蘇大橋が崩落してしまったということは

 すでに周知の事実だった。

 

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「途中で役所に立ち寄って、

 どの道が通れるか聞いた方がいいよ

 やっぱいろんなとこで道路が陥没したり、

 山崩れがあったらしいからね。」

  

 ペンションを去ると、早速町役場へ向かおうとカーナビで検索する。

 阿蘇には意外と自治体が多い。

 阿蘇の南側だけでも3つの役場が見つかった。

 その中でも最寄りの役場までは

 車でたった10分だ。

 

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 住宅の立ち並ぶ高台を下り

 町をつなぐ国道へと向けて車を走らせた。

 

 道端を転がる岩やガレキを慎重に避ける。

 こんなところでパンクしても誰も助けてくれやしない。

 スピードを絞ってノロノロと進む。

 

 農道を進んでいくと

 小川を横切る橋にさしかかった。

 

「・・・ダメだ。」

 

 橋の手前には行く手をさえぎるように

 赤いコーンが一列に並んでいた。

 何人かで車を降りて様子をうかがうと

 小さな橋に真ん中からピシッと一閃

 黒ずんだ太いヒビが走り、

 しかも微妙に段差がある。

 国道は橋を渡ったすぐ先だが

 しかたなく引き返し回り道をした。

 到着予定時刻は相変わらず10分後、

 ナビはあてになりそうにない。

 

 国道へ出ると車幅が広がり直線的で走りやすくなった。

 田舎らしくあたりに建物はなく見晴らしが良い。

 町から町につながる主要道であるはずなのに

 すれ違う車はなく、静かだった。

 

「あ、店だ。」

 

 しばらく走ると道のかたわらに

 小さな雑貨屋が見えてきた。

 

「まだ飲み物とか売ってくれるかなぁ?!」

「朝飯食べれるかなぁ?」

 

 わずかな期待を胸に駐車場に車をつけると

 店へと駆け寄った。

 

「ごめんくださ~い…。」

 

 店内は薄暗く人の気配もない。

 シーンと静まりかえっている。

 

「誰かいませんか~…?」

 

「はぁ~い!!」

 

 店からではなく、

 駐車場のわきから返事がかえってきた。

 駆けつけたのは40半ばほどの

 オレンジ色のエプロンをかけた女性だった。

 

「ごめんなさいねぇ~!

 せっかく来てもらったけど、

 今、お店やってないの。

 何も売ってあげれないのよぉ~。」

 

 僕らは何もいえず、

 ただ作り笑いう浮かべながらうなづく。

 

 それも仕方がない。

 店の中は嵐が吹き荒れたように

 棚という棚が倒れ

 商品など何一つとして残ってはいなかったからだ。

 床には何も散らばっていない。

 店員の女性は片手にチリトリを持ち

 駐車場のわきにガレキやらなんやらを集めていたらしい。

 そして店先に停まっていた農業用一輪車には

 店先に停まっていた農作業用一輪車には

 ボトル入り飲料がうず高く積まれていた。

 

 ずっとここで生きていく被災者から

 これから逃げ出す観光者に

 譲れるものなど何もない。

 被災地においては時にお金が役に立たなくなると頭ではわかっていたが、

 改めて思い知らされた。

 

 

 

 水すら手に入らないこの村からは一刻も早く脱出した方がいい。

 ここからは腹の虫との競争である。

 雑貨屋を出て4,5分すると

 目的の役場へとたどり着いた。

 

「うわぁ~~…。」

 

 これまですれ違う車すらめったに見かけなかったのに

 役場では駐車に困るほど

 車と人波でごったがえしていた。

「オレらみたいな観光客が来ていいんかな?」

「でも遠慮してもしかたないしね。」

 

 日本人の僕とカズが話を聞くため役場へと向かった。

 

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 役場の中はセリ場のように騒がしい。

 ここは地域の災害拠点本部となっているらしく

 廊下に何本もの太いコードが這わされ

 外に立ち並ぶテントへと電気を供給し

 受付の隅にはホワイトボードが林立し

 そこには地図などが貼り付けられ

 ところどころ赤文字で各地の情報が書きこまれていた。

 窓口のカウンターには非常物資か

 段ボールが山のように積まれ壁をつくり、

 その隙間から律儀に白シャツを着た職員と

 はっぴや消防服や農作業服に長靴の住人たちやらが

 ケンケンゴウゴウと入り乱れ、さわがしい。

 

 周りを行きかう人間はみな表情が強張り

 視線はわき見することなく

 一直線に早足で通りすぎていく。

 普段は僕たち観光客を温かく親切に迎え入れてくれるのだろうが

 今日という日はまるで僕たちが視界に入らないらしく

 誰も気にとめる人などいない。

 

(…自分たちから声をかけないと。)

 

 怖気づきながらも

 段ボールを抱え歩いていた職員さんを呼び止め

 状況をうかがった。

 

 

 

「どうだった?」

 

 車に残っていた友達らが聞いてきた。

 体をほぐすために車を出ていた何人かも

 すでに戻ってきている。

 

「うん、ちょっとね…」

「わかったような、わからなかったような…?」

 

 僕はメモを広げると

 

「まず北のやまなみハイウェイ

 ここは阿蘇から出ようって人で超渋滞してるらしくて

 しかも通行止めになりそうだって…。

 それに西の熊本に下りる道は、

 もうすでに通れないそうです。

 で、宮崎県方面の高千穂、延岡に下りる道だけど、

 ここは山から山へ渡る橋の多い道なんだけど、

 その谷にかかる橋にどこか悪いところがないか

 阿蘇大橋が崩れたこともあって、念のためチェック中で

 いつ通れるかわからないそうです。」

 

「それじゃあ、もう阿蘇から出られないってことか?!」

「今日もまたここで泊まるの?」

「いや、そうじゃなくって…。」

 

 もう一度メモに目をおとす

 

「特別に道を教えてもらって、

 それがすごく分かりにくいんだけど

 町の人もめったに通らない林道なんだって。

 山道だし、狭いし、分かれ道あるし、グネグネしてるらしいけど、

 地元の人しか知らないから、

 阿蘇から出ようとする観光客はもちろん知らないし、

 まだそこは通行止め情報が入ってきてないから通れるかもしれないって。」

 

「そこで決まりや。はよ行こう!」

 

 みんなの目と表情に明るさが戻った。

 

「でも、まだ通れるかわからないから賭けだよ。

 ほら、道だって、えっと…

 根子岳っていう山の手前の道を右に曲がって、

 県道218、すぐの三差路を左の135、

 そして分かれ道を右、まっすぐ、左で県道41

 それから…。」

 

「あとでいいよ、行こう!」

 

 みんな、さっそうと席に座り直す。

 僕も運転席につくと

 

「まだ正確な情報が伝わってないから、

 これから通りかかる役場でも聞いた方がいいってさ」

 

「ま、じっくり行こうよ」

 

 固くなっているのは自分だけなのだろうか

 そのひと声が僕が勝手に背負った肩の荷を

 軽くしてくれたように感じた。

 

 

 

 次の役場もその次の役場も

 話をうかがっても同じことのくり返しだった。

 北へも東にも出られない。

 もしかしたら山道をぬければ

 大分県に出れるかもしれない。

 ただそれはまだ誰も確かめに行ってないから

 通行止めの情報が聞こえていないだけで

 本当に通れるかどうかは

 実際行ってみないとわからない。

 わからないから、もし無事大分県に出れたら連絡して教えてくれとまで

 言われるしまつだった。

 

「みんな、準備はいい?」

 

 車を出そうとしたところ

 

「コウヘイ、運転変わって。オレ、運転したい!」

 

 と香港人ジョーが声をかけてきた。

 

「道路に何か落ちてて

 危ないかもしれないよ。」

 

 一応みんな止めてみたが

 

「大丈夫やぁ~、

 こんな体験めったにできんから

 やってみたいわぁ!」

 

 と興奮気味に答えるジョー

 

 僕は運転し通しで疲れてたのと

 何事も、やりたい人がやればいい。という考えと

 これから例の分かれ道に入る山道に突入することもあり

 メモとナビとスマホの地図を見比べながら

 落ち着いて道案内できる方がずっといいと思い、

 ジョーに運転席をゆずった。

 

 

 

 ハンドルを握ったジョー

 まるで欲しいおもちゃをもらった子供のような

 キラキラした笑顔で車を走らせていた。

 

 こんな状況でウキウキするなんて不謹慎だなとも思ったが

 僕もこの非日常的な体験と被災地の雰囲気を

 心ひそかに楽しんでいたので、

 むしろ親近感がわいた。

 

 みんなもそこがジョーらしいと思っていて

 メンバーの雰囲気が深刻になることなく

 明るい気分にさせてくれていたので

 とても救われていたように思う。

 

 後日談だがこの後彼は

 この冒険に満ちた旅が終わるのがよほど惜しかったのか

 福岡に着いた後

「まだ車、一日使えるはずヤな?」と言い

 みんなが深夜バスで帰る中

 ひとり九州に残って長崎に向かったが

 途中、滝のような豪雨にあい

 身動きがとれなくなって、すぐ福岡に帰ったという

 珍道中をくりひろげることとなる。

 

 

 

 ジョーに運転を変わってもらい

 ナビと路面ではなく景色をみる余裕ができた僕は

 国道の左手に広がる阿蘇山

 開け放った車窓から半身を乗り出しながら

 無心にただボケっと眺めていた。

 

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 肉食獣の牙のようにギザギザにとがった山脈が

 よく晴れわたった紺碧の空をつき

 すでに高く昇った日の光に照らされ

 鋭い刃のようにギラギラと輝いていた。

 

 車は直線的な道路をなめるように滑り

 武骨な峰々は滑らかに視界の後方へと流れおちていく。

 茶色から緑のグラディエーションの山肌が

 緑の大地へと弧を描いてつながり

 視界の彼方まで緑のじゅうたんを敷き詰めている。

 春の陽気をいっぱいに浴びた緑の大地は

 青臭く官能的な芳香をにわかに放つ

 それは凍える長い冬から目覚めた

 再生する命の香りだった。

 

 人間も、動物だ。

 その本能的に生き物に安らぎを与える香りにふれると

 どうしても夢見心地のように

 意識がトロンとゆるんでしまう。

 

「美しいな…。」

 

 思わずため息のような言葉が口につく。

 

 ここはどこだ?

 極楽浄土か?桃源郷か?エデンの園なのか?シャングリラか?

 夢か、幻か?

 

 ここに住む人々がみんな大変なときに

 自分はこの自然を、この状況を

 心から楽しんでいる。

 その感情を否定する気など、みじんも起きない。

 それとこれとは別なのだ。

 例え今日という日に地震が起きなくても

 自分はここに訪れ

 同じような言葉を口にしただろう。

 

 自然は変わらない。

 100年前から、千年前から、いや、もしかしたら一万年以上前から

 ずっと変わらずそこにあり続けている。

 橋が崩れた、電気が止まったとあわてふためいているのは

 人間だけだ。

 大地はたとえ割れようが、崩れようが、

 あるがままなのである。

 なんというおおらかさ、なんという盤石さ。

 それに比べたら人間の暮らしなんて

 常にあやふやで、もろくて、壊れやすいものなのだろう。

 

 自分たちは目に見えない社会という囲いの中で暮らし

 触れることもできないルールという鎖でつながれ

 実体のないお金というものに寄りかかり、

 地位や名声といったものを追い求め、

 時に一生を左右し、振り回され続けている。

 

 人間の社会なんて

 もろく、崩れやすく、失われやすい。

 大地がほんの一晩激しく震えただけで

 人々は逃げまどい、ところどころで身内を失う悲劇が起こった。

 

 人間とはなんと弱く、はかなく、はかないのだろう。

 まるでいつ崩れるかわからない舞台の上で踊り

 悲劇を演じ続けるこっけいなパペット人形のようだ。

 不安にかられ、もだえ苦しみ、ただ右往左往し騒ぎ立てる

 それはまるで…

 

 

 

 そこまで考がおよぶと、

 突如として僕の思考は言葉をつむぐことをやめた。

 その言葉で、自分自身が傷つかないように。

 

(まるで、オレの人生みたいじゃないか…。)

 

 という言葉を、

 思考の渦の中へ飲みこんだのであった。

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 そうするうちに僕たちはどんどんと進み

 

「うわっ、高圧電線だ!」

「踏んでいいのかな?」

 

 開けた町の交差点に

 どうどうと横たわる高圧電線を踏み越え

 ナビとメモとグーグルマップに頼りながら

 立ち並ぶ木立以外何もない

 見通しの悪いウネウネとくねった山道を越え

 出発からおよそ4時間

 ようやく大分市に接続する豊後街道近くの

 豊後本線滝水駅周辺へとたどり着き

 阿蘇からの脱出に成功したのであった。

 

 

 続く

第2話_警報の夜_4.16 地震の日

2話

 

 

これまでのあらすじ

 

熊本地震の起きた日

偶然にも友達との旅行中に

阿蘇村に滞在していた僕たちは

泊まっていたロッジは危険だと、

車で避難することになった。

 

 

 

 心配して様子をうかがいに来たペンションのオーナーが

 すぐ近くにある温泉施設に避難するようすすめてくれた。

 

(酔いなんてさめちゃったけど、

これ完全に飲酒運転だろうな…。)

 

 のろのろと発進しながら僕は思う。

 まだべろべろになった宴会から2,3時間もたっていない。 

 

 温泉施設はこじんまりとした平屋づくりにも関わらず

 駐車場は3,40台停められそうなほど広い。

 すでに住民が集まり

 どこに視界を向けても車のライトが眩い。

 中には赤いランプの消防車両もあった。

 消防服を着た男たちが何やら熱い議論をしている。

 ここにいる人たちはみんな忙しそうに歩き回り

 顔見知りに声をかけたり、話し合ったり、

 観光者である自分たちには何もできない。

 誰にも話しかけられないし、何の役にも立てない。

 それはまるで陸の孤島のようだった。

 

「オレたち、ここから出れるんやろうか」

 

 誰ともなくつぶやく。

 

「出られたとしてもそのまま大阪に直行やね」

 

 カズさんの主張はもっともだった。

 僕は聞き返す。

 

「別府のフェリーですか?」

「いや レンタカー返さなあかんから、福岡の深夜バスやね。」

 

 もしこのまますぐ大阪に帰ってしまったら

 この旅が最後の日本旅行になるかもしれない

 コウやリミ、サルはどんなに悔しいだろう?

 みんな慣れない日本でアルバイトして貯めたお金を

 この時のために使わずにおいていたのに… 

 僕は、自分が主張することで何かが変わるかもと思い、

 おずおずとたずねた。

 

「せめてコウさんやリミの楽しみにしてた。

ハウステンボスか高千穂によれないですかね?」

 

 カズは困ったようにハニカミながら

 

「まずみんな安全な所に行くのが優先だって。」

 

 後部座席に乗っていたリミが身を乗り出し

 

「私たちのことは 気にしなくっていいよ。」

 

 隣にいたコウもうなづく。

 

 みんな大人で、僕だけが子供だった。

 僕は恥ずかしくなり、思わず小さくなる。

 ただ自分がこの旅を終わらせたくなくて

 みんなの気持ちを無視していたのかもしれない。

 

 

 

 

 重い沈黙が流れる。

 エンジンをつけてヒーターをかけるものの

 車窓から染みわたる冷気に身がすくむ。

 

「ラジオつけていいですか?」

 

 音があると眠れなくなるかもしれない。

 だけどどうせエンジンかけてるから車は揺れるし

 音はうるさいし

 寒さで変に体に力が入って眠れないし

 情報もほしい。

 

 車にラジオはついていなかったので

 僕のケータイのアプリでラジオをかける。

 熊本の放送局を選局すると

 意外にも軽やかなBGMが流れてきた。

 曲の合間にラジオパーソナリティー

 震災に関する情報や被災者の生の報告、励ましのメールを読み上げる

 悲惨さは一切感じない。

 東日本大震災のおり

 津波に飲まれる車と家、重油が流れ出し燃える海、

 原発の水蒸気爆発、土色の肌をした政治家たちの会見

 気の滅入るようなシーンを

 テレビで毎日見させられた。

『テレビは悲惨な出来事を映すが、ラジオは温もりと励ましを伝える』

 とはよくいったものだ。

 こんなときに音楽や励ましの声を聞くだけでも救われた気分になれた。

 

 そんなラジオに耳を傾けて

 ヒーターの温風に当たっていると

 だんだんウトウトしてきた。。

 そうして重く垂れさがったまぶたが力なく閉じ

 みんなの寝息が聞こえ始めてきた。その時、

 

ビーッ!ビーッ!ビーッ!

地震です!地震です!」

 

 いきなりみんなのケータイが震え出し

 耳を塞ぎたくなるような音が鳴りだした。

 

グラグラグラ・・・

 

 するとたしかに車がゆれ

 タイヤがキシキシときしむ音も聞こえた。

 揺れは一分ほど続き、

 ほどなくして終わった。

 これが何だというのだろう?

 

「余震だね?」

「そうですね」

 

 こんなもののためにわざわざ起こされたのだろうか。

 腹が立つやらなんやら、

 一言毒づこうとしたその時、

 

ウ~っ!!!!!!!!!

 

 今度は不気味なサイレン音が辺り一帯に鳴り響く。 

 車の窓は閉め切っているにも関わらず

 耳を覆いたくなるような轟音。

 

「○×◇□、▽○□♪××…。」

 

 拡声器で誰かが何かを言ってるけど、聞き取れない。

 音がひび割れている上に、

 周りを山でかこまれたこの土地では

 やまびこ(エコー)が重なって

 何人もバラバラに話しかけられたようで

 耳が混乱してしまう。

 

「え、なに?!」

「ちょっと窓開けて。」

 

 温かい空気が逃げるのはもったいないが、

 大切な情報なら聞き逃したくない。

 窓を開けて耳をかたむける。

 

「こちらは、○○町役場です。

 ただいま地震がありました。

 住民のみなさんは

 指定の避難場所へ避難してください。

 くり返します・・・」

 

 くり返し聞く必要がないので窓を閉じた。

 

「あんまり大したことなかったね」

「ちょっと大げさだよね…。」

 

 誰得なんだろう?

 今さら避難していない人なんているんだろうか?

 みんな疲れているのに

 やっと眠れそうだと思ったのに、つまらないことで起こしやがって。

 

「コウヘイ。エンジン切ろう」

 

 カズさんの声はなんだか少し疲れていた。

 

「あ、はい。」

 

 僕はキーをひねりエンジンを止める。

 すでにガソリンは六割を切ろうとしていた。

 

 エンジンを切るとヒーターも止まるが

 温かい空気がたまったので

 我慢できなくはない。

 むしろ振動や音がなくなったので

 より寝心地がよくなった。

 

 個人的なわがままでまだラジオは切らずにいたが

 音量をメモリ1まで下げて

 まぶたを閉じる。

 そして間もなく

 あたりから寝息が聞こえ始めてた

 その頃…

 

 

ビーッ!ビーッ!ビーッ!

地震です! 地震です!」

 

 再びケータイがわめき出す。

 

ウ~っ!!!!!!

 

 そしてまた狂ったサイレン。

 

「こちらは、○○町役場です…!」

 

(いい加減にしてくれーー!!)

 

 と思わず外に向かって叫んでやりたくなった。

 町中のスピーカーを叩き割ったら

 みんな救われるだろう、と思った。

 まだ避難していない人がいたなら

 お前らのためにみんな眠れないんだ!と

 袋叩きにしてやりたい気持ちになった。

 でもこれは政治の役目だから、仕方がない。

 ただ歯を食いしばってこらえるのみ。

 中には毛布代わりのコートを

 頭からかぶる人もいた。

 

 

 そんな安眠妨害が5,6回くり返されたころには

 みんなケータイ電話を切り

 外のサイレンを無視できるようになった。

 もう矢が降っても朝日が照らすまでは起きないだろう。

 もともと寝つきの悪い僕が

 きっと最後まで起きていたのだと思う。

 誰も動かない静かな車内の中、

 そろそろ潮時と思いケータイで時間を確かめると

 午後3時すぎ

 3時間も眠れたら御の字だなと思いながら

 メモリ1の静かなラジオを

 電源ごと完全にシャットダウンすると

 目の前の曇ったガラスの隙間からのぞく

 いくつかの星明りを眺めながら

 ゆっくりと眠りのはざまに落ちていった。

 

第1話_旅の6人_4.16 地震の日

 

 2016年4月16日

 九州一円を巨大地震が襲ったその日、僕は地震の中心地、熊本県阿蘇村にいた。

 友達と九州を車で旅行しているときだった。

 その友達は現在住んでいるシェアハウスの住人で、6人のうち2人が外国人だ。

 まず台湾人の女性が2人

 クールビューティーなコウと、いつも自然体でおっとりれずとしたリミ。

 韓国人の元気な男の子、坊主頭で小柄なサル。

 スリルとジョークを愛するひょうきん者の香港人ジョー

 彼だけが日本の運転免許を持っている。

 車で巡る予定の旅行。

 さすがに何日もジョーだけが、慣れない九州を運転するのは心配だ、と。

 日本人のカズと僕がついていくことにした。

 

 カズはこのメンバーと毎晩顔を合わせるほど親しい間柄だ。

 何度か同じメンバーと旅行にも行っている。

 一方僕の方は、ひと月ほど前に高野山での観光にまぜてもらったきりだ。

 そんな僕が急遽九州のメンバーにまぜてもらった理由、

 いくつか理由は思いあったが、はっきりと言葉では言いあらわせない。

 ただまだシェアハウスに引っ越してきて日の浅かった、

 人付き合いが苦手でぎこちない僕をおおらかに受け入れてくれたこのメンバーの

 コウとリミ、サルのビザがあとひと月のうちに切れてしまうことから、

 もうこのメンバーで旅行にいくのなんて最後になるのではないかと。

 素敵な思い出を残す機会が二度となくなるかもしれない、と

 それに昔の仕事で九州に数カ月住んでいた僕は

 みんなの行きたい観光地を、道を案内できると、

 親しくしてもらった恩返しをしたい。

 大好きな九州を友達と一緒に楽しく巡りたい。

 という思いが抑えきれず、当時金欠にも関わらず参加した。

 また当時うまくいかないことがあって、

 このシェアハウスいち楽しい、ひょうきん者の集まるメンバーと一緒にすごして

 気持ちも切りかえたいという思いもあった。

 

 

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 旅行はまず、福岡市でレンタカーを借りるところから始まる。

 それから別府、阿蘇、時間があれば高千穂、熊本、長崎と

 九州北部を時計回りにまわり、最後また福岡市に帰る。

 4泊5日の予定だ。

 しかし仕事などの都合で初日から参加できなかった僕とカズは

 大阪からフェリーに乗り、大分県別府で

 他のメンバーと合流することとなった。

 伝統的な建築物が好きなカズが、

 その日の前日に起きた地震の影響で

 熊本城が立ち入り禁止になったことに

 少しへこんでいた。

 

 慎重な性格のカズは少し心配していたが、

 まさか本当にあれよりも大きな地震が僕らを襲うな思いもよらないことだった。

 

 

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 7時、フェリーが別府港に着くと、すぐに4人が迎えに来てくれた。

 昨日から運転してくれていたジョーには休んでもらい

 僕とカズが変わるがわるハンドルを握ることにした。

 由布院阿蘇へと続く「やまなみハイウェイ」は

 九州屈指のドライビングルートだ。

 背の高い木々はまばらで

 芝やか細い草木で一面覆われたつるんとした山肌の地形が見渡す限り広がっている。

 視界になにもさえぎるもののない景色に、

 以前北海道を旅行したジョー

「まるで北海道みたいやぁ!」

 と手をうって喜んだ。

 地平線こそ見えないが、滑らかな起伏の山並みが

 緑の大地と紺碧の空を緩やかな曲線に裂いている。

 

 

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 やがて僕たち一行は阿蘇外輪山の大観峰へとたどりついた。

 阿蘇の町を眼下数百メートル見渡る丘の上

 霧の発生しやすいこの土地には過去僕は3度たずねたが

 この日のようにスカッと晴れ渡った光景を見れたのは一度しかない。

 眩い太陽の光が濡れた緑の大地に反射し、

 風が吹けば丈の長い草が輝きながら波打つ。

 まさに天上の光景を眺めながら、

 僕は適当な場所へ腰をおろし

 運転とフェリーの硬い床で眠ってためた疲れをのんびりと癒した。

 

 

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 しかしいくら待てど暮らせど

 他のメンバーが出発しようというそぶりすら見せない。

 様子をうかがうと、

 開放感あふれる光景にジャンプしまくる姿を

 撮影しまくるという謎動画の製作に没頭していて

 時間を忘れているようだった。

 

 その日、他にも寄る場所が目白押しで

 あまり一つの場所で時間をかけすぎるわけにはいかないのに

 その前に立ち寄った由布岳でも

 登山者用の貸し出し杖を持ってカンフーポーズを撮り

 納得いくまで何度も写真撮影していたなど

 いろいろなところでスケジュールが延びてしまったから

 ぶっちゃけ大観峰よりも後の高千穂、草千里を楽しみにしていた僕は

 内心イライラが募り不機嫌を振りまきながらも

「こんなに楽しんでいるみんなを

 許せない気持ちになるなんて、

 やっぱ自分にはグループでの旅行なんて

 向いていないんじゃないか・・・。」

 などとひとり落ち込んでいた。

 

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 しかし次の黒川温泉で汗を流しさっぱりするとあきらめの境地に入り

「もう絶対今日はいけなくなったから、

 明日他のメンバーを叩き起こしてでも

 朝早く出発して行こう。」

 と開き直ることにした。

 メンバーで一番若いサルは黒川温泉を気に入り

「韓国帰ってもまたここは絶対来る!」

 と宣言したが、

 なんとそれは一年後に実現されることとなる。

 好きなことに一直線の行動力には、

 いつまでたっても僕たちは関心させられる。

 

 

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 予約していた宿に着いた頃には日がすっかり落ちていた。

 阿蘇の裏手、南阿蘇村の小さな集落にあるそのペンションは、

 丸太づくりのロッジを一棟借りしてひとり2000円以下と激安で、

 この旅を一番楽しみにしていたコウとリミが

 一生懸命探して見つけたところだった。

 さらにそこにはバーベキューの設備がついていて

 利用料は一組1000円ほど。

 よくこんないいとこ見つけたなと、

 僕らは彼女たちのナイスな仕事っぷりをほめたたえた。

 

 

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 飲み、食い、酔っ払い、

 酒のまわった僕らはお互い肩を抱き、

 当時流行っていた「海の声」の歌詞を

 実らなかった恋の相手の名前に変えて歌ったり、

 コウさんがセルフィーで集合写真を何度も撮ろうとするので

「自撮りクイーン」というあだ名をつけてからかい、

 台湾の実家にスカイプをつないで乱痴気パーティーを中継したり、

 焼けた肉の油で火柱が上がるたびに雄叫び、

 ジョーの肩にサルがとびかかり、他のメンバーみんながのしかかって

 人間サンドウィッチを作ったり、

 他の客がいないのをいいことに騒ぎまくった一行に

 若いオーナー夫妻もあきれたことだろう。

 

 この日特に酔いがまわった僕は

「明日、絶対に高千穂よるんだからな!

 朝早く起きなきゃいけないんだよ!」

 と叫ぶと途中抜けし、

 ふらつく足でロッジへとロフトへ寝ころんだ。

 

 

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 ほどなくしてメンバーのみんなも

 パーティを切り上げてロッジに集まった。

 

 せっかく盛り上がってたのに悪いことしちゃったな。と反省したが、

 一階のコタツでUNOをし始めたのを見て、安心してひとりウトウトし始める。

 

 やがてUNOもおひらきとなり

 みんなも布団を敷き出した。

 男たちはコタツをどかして一階にコの字に敷いて

 女子は上のロフトに布団を並べた。

 僕を挟んで川の字に並んだが、

 酔いつぶれて無害と思われたらしい。

 ただ布団との間にはかなりの隙間があけられていた。

 

 状況から考えると

 明かりをおとしたのは日付が変わってしばらくしたころだろう。

 小一時間ほどたち

 酒の熱気とパーティーの興奮が醒め、

 ようやくみんなが寝静まろうとしていた

 その時だった。

 

 

 

ドドドドッドドオドドドッド!!

 

 突き上げられるような揺れに襲われ、思わず跳ね起きた

 

(なんだ?!)

 

 状況を把握しようにも、暗闇と視界の揺れで何も見えない、分からない。

 耳をつんざぐ轟音がそこら中から聞こえる。

 ロッジの部材がきしむ音、地鳴り、そして何かが落ち砕け散る音が聞こえる。

 脳がやっと目覚め、地震という二文字が結ぶ頃には

 一階で寝ていた男子たちが一斉に立ち上がり叫ぶ

 

「みんな、動かないで!」

「危ないぞ!」

 

 道中ふざけてばっかのメンバーだったが、

 ここにきて誰も取り乱すことなく、

 むしろ他の人のことを気にかけていて、正直見直した。

 一方僕はといえば特に何するわけでもなく、

 あぐらをかくと布団をかぶり、

 ただ静かに揺れが収まるのを待つだけだった。

 不思議と不安は感じず、

 むしろ懐かしいという気持ちが沸き起こる。

 なぜか振り返ってみると思い当たるのは

 2011年の東日本大震災のおり、

 昔の仕事の都合で地震が起きて一週間後に

 千葉へ出張することがあり、

 毎日震度4程度の余震、

 電力不足から定期的に電気を止められ、

 停電にも地震にも慣れっこだったからだと思った。

 

 人生何が役にたつかわからないものだなぁなどと

 まだはっきりしない寝起きの頭で考えていると

 急に後ろから肩をつかまれ振り返る。

 

 そこには同じロフトで寝ていたリミがいた。

 暗がりでも表情がこわばっているのがよくわかる。

 突き上げられる揺れが起こるたびに

「あぁぁ」とか細い声を上げながら

 つかむ手にも力が入る。

 

 きっと地震慣れしていないんだろう。

 そういえば幼いころから学校で

 何度も地震避難訓練をさせられる国なんて

 日本ぐらいかもしれない。

 

 どうしたものかと考えたが

 リミには当時遠距離恋愛中の彼氏がいたので

 あまり失礼なことはできないなと思い

 とにかく頭は守ってあげようと

 使っていた枕をクッション代わりに

 頭の上にのせてあげた。

 

 するとリミはその枕を払いのけ

 ロフトのすみに身を寄せていた

 相方のコウさんのもとへと

 這いながら向かった。

 実は台湾も地震対策があり

 建物のすみにいた方が

 倒れた時に助かる確率が高くなるらしい。

 

 そんなことつゆ知らず

 拒否と思ってで少しショックだった僕は

 ぼんやりとした心地で

 ひとりポツンと揺れが収まるのを待っていた。

 

 するとシリアスな状況にも関わらず

 ものすごくトイレに行きたくなって

 揺れが収まるとすぐにペンションを飛び出した。

 このクラスの地震になるときっと断水するだろうから

 まさかトイレを使うわけにはいくまい。

 車を停めたペンションの裏手には雑木林があったから

 そこで用を足そうと思った。

 幸い大きい方ではなかった。

 

 ペンション内はグラスや食器、建具の砕けた破片が散らばり

 男子たちが口々に

 

「みんな、大丈夫!?」

「とりあえず建物から出よう!」

「足元に気をつけて!」

 

 と声をかける。

 みんな、立派だよ…。

 スケジュールにルーズすぎてイライラしてごめんね。

 

 僕は「車で避難するでしょ?。車まわしてくる!」

 ともっともらしいことを言って

 いの一番にロッジを抜け出し

 車をしり目に雑木林に一直線

 酒の飲み過ぎかストレスか

 こんなにたまってたのか…。と思えるほど

 勢いよく長く吐き出すと

 車に残していたペットボトルのお茶の残りで手を洗い、

 車をロッジの横につけて

 みんなが運び出した荷物をつめこんだ。