第四話_ミエナイチカラ_4・16地震の日

4話

 

 

 

旅行中

神がかり的なタイミングで

熊本地震に遭遇した私たちは

寸断された道路をぬい

とうとう被災地、阿蘇を脱出したのであった。

 

 

 

 山道を抜けると

 そこは大分県西部

 豊肥本線滝水駅のあたりだった。

 

「トイレだ!」

「自販機だ!」

「店がやってるーーー!」

 

 寂しい通りに一軒ポツンと店がある。

 昭和の時代から抜け出したような

 小さく、少しくたびれた雑貨屋。

 中に入ると棚に菓子や、水が置かれている。

 店先には自販機が並び、

 対面の駐車スペースには公衆トイレまである。

 電気がある、水が流れている!

 助かったと確信したとたん

 やっと皆の顔に曇りのない笑顔が戻ってきた。

 あとは主要道にそって

 東へ向かうだけだ。

 

 それにしても…

 

「…もっと逃げる人でごった返すかと

 思ってましたけど」

 

 あたりに車通りはおろか

 無駄な雑音一つなくシーンと静まり返っている。

 

「みんな、まっすぐ北の道にいってるんだろうね」

 

 この山道を選んで下りてきたのは

 どうやら自分たちだけらしい。

 きっと北へ向かっていたら

 いまだに渋滞から抜け出すことが出来なかっただろう。

 自分たちはどうやら当たりくじをひいたようだった。

 

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 店での買い物を終えると

 車の前では台湾人の女性、コウさんが

 ひとりたたずみ、うつむきながら

 ケータイ電話を耳に当てながら

 何度も小さい頷きをくり返している。

 肩までかかる黒髪が艶やかに垂れ下がり、顔を覆い、

 どんな表情をしているのかまでうかがうことは出来ない。

 

「家族ですかね」

「だろうね・・・」

「ほら、昨日バーベキューのときに

 スカイプつないで連絡してたじゃん」

 

 地震の日直前の晩に

 何も知らずバカ騒ぎしたバーベキューのようすを

 ご丁寧にも海を越えて家族に実況していたのを思い出した。

 

「家族は心配してると思うよ

 外国で娘が地震にあったっていうんだから」

 

「たしかにそうですよね…」

 

 みんな気づいたようにケータイ電話をいじりだす。

 お互いの声が入ってこないよう

 皆が少しずつ距離をとり

 遠く離れた家族へ向けて無事を知らせている。

 

 ただ僕だけは何もせず

 手持無沙汰な心持で車に寄りかかり

 みんなの電話が終わるのを待っていた。

 

「コウヘイは電話しないの?」

「…ちょっとナビに疲れて、あとでしますよ。」

「そう…? すぐにした方がいいと思うけどなぁ。」

 

 その時、僕の太ももが震え出す。

 ポケットからケータイを取り出すと

 それは母からの着信だった。

 

 驚きで思わず身がすくみ、手が固まる。

 そのままケータイをポケットにしまい直そうとしたが、

 どうしても忍びがたく

 とうとうためらいつつも着信に応えた。

 

「…もしもし?」

「あんた、大丈夫なんか!

 阿蘇に行ってるんやろ?」

 

 久しぶりに聞いた母の声は

 思わず耳元から離したくなるほど

 キーンとよく響いた。

 

「え、なんで知ってるの?」

「なんでって、フェイスブック阿蘇に行くって書いていたから…」

 

 たしかにずっと昔、

 母とフェイスブックのアカウントを交換していたはずだった。

 今まで一度も「いいね」などしてもらったことないが

 なんだ…、知らないところでいつも見ていてくれていたのか。

 そう思うと、言葉が詰まり、

 ただ何も言えず立ち尽くす。

 

「あんた、大丈夫なん?

 今どこなの?!」

 

 感情があらわになると声を張り

 怒ったような口調になるのが

 母のしゃべり方の特徴だ。

 

「あ、うん…。夜、寝てるときに地震があってな。

 泊まってたとこのもんが

 バンバン落ちてきて大変やったわ。

 誰もケガせんかったからよかったけど…」

 

 母はため息をつくと、

 

「もう、心配させんといてぇなぁ~。」

 

 心配そうに声色のトーンが落ちても、

 相変わらず声量がでかく耳に響く。

 

「あんたがどこで何してようといいけどなぁ。

 あんまり心配かけさせんといてぇ。」

 

 僕は失笑気味にほくそ笑むと、

 

「いや、しゃーないやん。突然の地震やったんやから。

 心配かけさそう思って九州行ったんちゃうわ!」

 

「そらそうやけどぉ、無事に帰ってきいなぁ?

 ほんまそれだけで充分やから。」

「…うん、わかった。

 もう阿蘇は抜けたし、あとは大分市に下りて、

 それから大阪に帰るだけやから。」

「ほんまかぁ?

 もう大阪じゃなくて、一旦地元に帰っておいで。

 顔見せにだけでもいいから。」

 

 思いがけない言葉がズブリと、

 胸に刺さった音が聞こえた気がした。

 

「いや、ほんまそういう話はあとでいいから。

 それじゃ、行かなあかんし、切るな。

 また無事に帰れたら連絡するから。」

 

 そう告げると僕はケータイを切った。

 

「なんや、もういいんか?」

 

 ボチボチと集まりだしたメンバーが

 車の中から声をかけてきた。

 

「うん、別にもういい。」

「そうかぁ。」

 

 そういって助手席に戻ると

 再びケータイをポケットにしまい直した。

 

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 大分県大分市熊本県阿蘇とをつなぐ国道57号線「豊後街道

 周辺地域の大動脈にも関わらず交通量はまばらで、

 穏やかな田園風景が一面に広がっている。

 

 ラジオが語るには

 熊本を抜け出す車の流れは

 大分市北部で滞り渋滞を起こしているらしい。

 つまりそこにいたるまで、渋滞はないらしい。

 まだ30キロほど離れている。

 順調すぎる行程。

 もはや気を回すことなど何もない。

 ただボケっと流れゆく景色を見つめながら

 変わらずそこにある

 彼方の山並と空の境界を視線でなぞり続けていた。

 

 目に見えていても、見えないものはある。

 先ほどから目に映るその景色も

 頭の中で像を結ばず流れおちる。

 

 代わりに目の前によみがえってきたのは昔の光景。

 夢も目標もなく、

 ただ25年間、居座り続けた実家から飛び出して

 大阪へと出てきたころの自分の姿。

 

 その時の光景。

 その時に両親に放った言葉。

 今でははっきりと思い出せない。

 ただ激しく憤り、叩きつけるような言葉を残し

 両親は去る僕の背中を見送った。

 

 思い出したくもない醜態。

 蓋をしてしまいたい記憶のはずなのに、

 今では懐かしさすらただよう

 それが心地よくて仕方がない。

 

 

 

 どうしてこんなにも感傷的になってしまったのか?

 全部さっきの電話のせいだ。

 ろくに眠れなかった夜のせいで、

 窓辺に寄りかかると、まぶたが垂れ下がってくる。

 後ろの座席を覗き込むと、みんな肩を寄せ合って眠っている。

 運転席のジョーだけが、

 肩肘を張った美しい姿勢をキープしていた。

 

 こだまのように頭の中で響く

 電話での母の声をかき消そうと

 流れてくるラジオに耳を傾ける。

 

熊本県各地で停電や断水が起こっています。

 該当の地域は…。」

 

 いつしか僕は昨夜の光景の中にいた。

 ペンションから避難をし、

 寒く凍える夜を過ごした車の中。

 皆が寝静まる直前までエンジンをふかし

 室内に暖房を入れていたにも関わらず

 数十分もすると足元から冷えてたまらない。

 指先はしびれ、くるぶしからふくらはぎはガチガチに固まっている。

 眠れない・・・。

 曇ったフロントガラス一面をすかして

 ぼやけた阿蘇の星明り眺めながら

 静かにラジオに耳を傾けていた。

 FMラジオのパーソナリティーが、

 普段は明るく弾むような声色をおとし、

 リスナーに対して諭すように落ち着いた声で語りかける。

 

「被災されてる皆さん。

 電気のつかない中、

 心細く不安な夜をお過ごしかと思いますが

 どうか気持ちをしっかりと持ってくださいね

 私たちも同じ被災者ではありますが、

 こんなときだからこそ私たちにもできることとして、

 ラジオを通してリスナーの皆さんに

 元気を分けることができればと思っています。

 

 それでは曲かけましょう。

 少し懐かしい曲ですね。

 ビーズで『ミエナイチカラ』。」

 

「なつかしいな…」

 

 誰もが寝静まった車内で

 僕はひとり、ほくそ笑みながらつぶやいた。

 ビーズらしいかき鳴らすようなギターのサウンドから曲は始まる。

 小学生の頃の夏休みに

 よく観ていたアニメ

 『地獄先生ぬ~べ~』のエンディング曲。

 毎日このアニメを観るのが楽しみで

 実家のリビングのテレビで

 かじりつくように観ていた。

 年の離れた弟が生まれてからも

 子守がてらたびたび観ていたし

 そんな日々から10年以上月日が経った今でも

 よく耳に残っている…。

 

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『夢ならあるはずだ

 あなたにも僕にでも

 見つかりにくいだけだ

 忙しすぎて     』

 

 

 

 確かに自分には夢があった。

 長い間自分の胸の中だけに秘めて生きていた。

 

 ぼんやりと幼いころから

 ゲーム会社に勤めてバリバリ働きたい。

 それか自分で小説やマンガなどの作品を書いて

 アーティストとして生きていきたい。

 そう思ってすごしていた。

 

 だけど小、中、高校と

 ずっと学校になじめずにいた僕は

 いつしか学校に通うのが嫌になり、

 16歳ごろになると、まっすぐ学校に通うことが出来なくなった。

 そのうち教室に入ることが、

 学校の玄関に入ることが、

 門柱を見かけるだけで体が動かなくなり、

「行かなきゃ」という思いと「行けない!」という思いで

 頭の中は錯乱し、

 激しい頭痛、不眠、耐えがたい苦痛に悩まされるようになった。

 遅刻、欠席が積み重なり、

 高2の冬、進学できなかった僕は

 とうとう高校を辞めざるを得なくなった。

 一つ下には年子の妹の同級生がいた。

 

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『ミエナイチカラ

 僕を今動かしている

 OHー!

 その気になればいいよ

 未来はそんなには暗くない

 

 WE‘LL BE ALRIGHT,

 GOOD LUCK, MY FRIENDS.

 

 愛する友の言葉を

 忘れはしないよ 』

 

 

 

 高校を辞めてからは

 外出する必要もなくなり、

 ほとんどの時間を自分の部屋でぼんやりと過ごすようになった。

 

「恥ずかしい。情けない。どうしてこんな目にあった?」

「誰もこんなオレを見ないでほしい。」

 

 生まれ育った小さい町では

 どこで何をしていても、知り合いの目につく。

 

「あそこの息子さん。高校も辞めて、仕事もせずにプラプラしてる。」

「なんで高校やめたんでしょうね?」「これからどうするんでしょう?」

 

 いつか父、母の耳に入らないとも限らない。

 同級生とも顔をささないとも限らない。

 そう考えると、怖くて、怖くて、

 家族以外と顔をさすだけでも震えが止まらず、

 時折親戚や母の友達が自宅にたずねてきても

 たまらず自分の部屋に閉じこもる。

 

 部屋にはゲームと本しかない。

 ケータイもパソコンもなく、

 細くとも切れずにいた友達との連絡先は

 もう会うこともないと自ら切った。

 

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『一体どんな言葉だった

 本当に言いたかったのは

 いくら舌打ちしても

 戻らない日々よ  』

 

 誰とも会わない。何も手につかない。

 ほとんどの時間を自宅のベッドの上で死んだように横たわり、

 一年近く過ごしていた僕を

 父は家業を手伝うよう誘ってくれた。

 

「お前にもいろいろあって、働くことが難しいやろう?

 それなら家の仕事の手伝いから始めてみんか?

 それならある程度融通をきかせてあげれるから。」

 

 父の仕事は漆塗りの職人で、

 仏壇や寺の内装を塗り直しを生業としていた。

 あいにく僕はそんなことに興味のかけらもなかった。

 今頃、同級生たちは、自分の好きな仕事に就くために、

 進学して、就職して、

 人生を楽しんでいるんだろうか?

 それなのに、自分ときたら、

 みっともなくて、情けなくって、

 普通に生きている人たちが

 はらわたが千切れるほどうらやましくって

 誰を怨めばいいのかわからないほど悔しかったが、

 それでもこのままではいけないと、

 父の下で働くことになった。

 

 自分の人生をやり直すには、健康な体がいる。

 心の病気を治す必要がある。

 お金もいる。

 自分勝手に学校を辞めて、働き口まで世話になって

 さんざん悲しませた、悩ませたからには

 もう一度、自分の人生をやり直すには、

 自分の力で何とかしたい。

 そういう思いから、

 何年も、何年も、

 なかなかうまくいかなかったが、

 自分のペースでじっくりとお金を貯め続けた。

 重ねていく年に焦りを感じつつ、

 膨らんだつぼみのように、

 孤独と期待と不安に張り裂けそうな思いを

 必死にこらえつつ。

 

 だけど二年前、

 どうしても仕事を辞めなくてはならない羽目になって、

 今まで抑えていたものがあふれ出してきた。

 

 なんで自分は何もかもうまくいかないのか。

 学業も、仕事も、あきらめなくてはいけないのか。

 世の中、誰だって苦労しているってわかっている。

 自分だけ苦労しているなんて思ってない。

 だけど、自分の背負っているものが大きすぎないか?

 

 自分は、学校も、就職も、

 たんなる友達づきあいすらも

 何もかもガマンしてきた!

 いつか救われると思って、

    でも自分には自分には何もない。

 何もない!

 どうしてこんな人生になった?

 鬱になって学校に通えなくなったとたん

 病院にでもぶち込んでくれたなら。

 適切な処置をしてくれたなら。

 人生の方向を間違えたとき、

 親として、しっかりと口をはさんでくれたなら、

 こんな思いせずにすんだんだ!。

 

 なぁ、オレを利用したんだろ?

 家業でオレの稼ぎを利用していたときもあっただろ?

 オレが抜けたら困るときがあったよな?

 そうやってオレを利用し続けたんだ。

 だらだら年くって、

 大学通う妹や、これから通う弟のために、

 学校をあきらめさせたくない。

 人と同じような道を歩んでほしい。

 自分のようにはみ出し者として、

 悲しくて、つらい思いをさせたくない。

 そんなオレの気持ちを、知らず知らずのうちにでも利用して、

 この店に縛りつけていたんだろう?!

  家業の店を手伝わせてたんだろ?

 そうだろ?

 そうじゃなかったら、

『これはあなたの人生なんだから、気にしなくていいんだよ』

『これからずっとやってく仕事なんだから、

 変わりたかったら、助けてあげるよ』

 って、言ってくれてもよかったじゃないか!

 知ってたくせに…

 オレの気持ちを知ってたくせにっ!!

 

 なんだ、こんな店!

 なんだ、こんな仕事!

 結局、自分を苦しめただけだ!

 何の助けにもなってくれなかった!

 

 お前ら家族が足をひっぱる!

 オレがお前らを助けても、オレにはいいことなんて何一つもなかった!

 お前らといると、ロクなことがない!

 どうして自分ひとり、こんなに不幸を背負わないといけないんだ?

 生まれてこなけりゃよかった…。

 こんな家にも、こんな自分にも、

 生まれてこなけりゃよかった!!!!

 

 

 

 そう叩きつけ家を飛びだし、

 自分の好き勝手に生きるようにした。

 地元の田舎町では自分の興味の引くものなど何もない。

 大阪に出てプログラミングやマンガの描き方など習いながらすごした。

 ただ正規の学生ではない。

 学び続けても仕事が見つかるわけでもなく。

 それでも、学校や家業も務まらなかった自分が、

 どこか一つのところに収まり、働き続けることなんて

 できるはずがない。

 自分はそんな人間なんだ。

 堕落して、間違いばかり犯す

 どうしようもない人間なんだ。

 そんな絶望感を抱えながら、

 いつしか資金が枯れ

 無計画に学んでいたものをすべて止め、

 それでも実家に戻る気にもなれず

 居場所を失って、

 それでも埋まらない何かを求めて、

 漠然と、楽しそう。と、

 何かあるかもしれないと、

 流れ着くように、今住んでいるシェアハウスに流れ着いた。

 

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『ミエナイチカラ

 だれもが強く繋がっている

 何も大したことじゃないよ

 そばにいても離れていても

 昨日 今日 明日と

 笑顔のあなたはいつでも

 この胸にいるよ      』

 

 

 

 次から次へと口からあふれ出す 

 家族への暴言、世の中への恨み節

 このまま実家に住み続けたら、家族のみんなを傷つける。

 そう思いう思いで家を飛び出した。

 それまでにどれほど両親を傷つけただろう。

 なるべくそのことを考えまいと

 心に蓋をし生きていた。

 

 だけど両親はいまだに

 こんな自分にも情けをかけてくれるのだ。

 

 自分の招いた不幸の原因を家庭になすりつけた

 そんな自分を

 誰からも見放されても仕方がない自分を

 それでも心配し

 まだ遠くからでも見守ってくれていた。

 

 それを思うと自分の

 実家を出ていってから決して開かなかった固い心のふたが

 きゅっとゆるんで

 溜まって言葉が思わずため息となって噴き出してきた。

 

「わかってたけど・・・

 やっぱオレ…、間違っていたんだな。」

 

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大分市

 

「道路混んでるね~」

「みんな九州を出ようとしてるのかな?」

 

 北へ向かう海岸線の道は混雑していた。

 ゆっくりとは進んでいるものの、

 博多駅前から出る深夜バスの時間に間に合うかが心配だ。

 

「なんかさっきも余震があったけど」

「どうも震源地が大分方面に移動しているらしいよ」

 

 これまでも何度となく小さな余震があり、

 ニュースを確かめると、震源地が少しずつ北東に移動していた。

 

「もしかしてオレらが地震呼んでるんじゃない?」

「こんな奇跡ある?」

「迷惑かかるから

 早く大阪帰ろうぜ!」

「今度大阪に地震きたらどうすんだよ!」

 

 メンバーのみんなはすっかり緊張感がゆるんでいて、

 車内は和気あいあいとした雰囲気に満ちていた。

 

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 シェアハウスに住んだ理由は

 孤独だったから

 

 高校を辞めたころの自分は

 たまに書店や散歩なども行きはしたが

 狭い町だったから

 こんな情けない姿を人にみられたくないと

 しだいにふさぎ込み

 やがて外にも出られないようになってしまった。

 

 生きているだけで恥だと

 当時の友達全員と連絡は断ち

 それからも周囲との接点を

 持たないようにしていた

 それでも自分はひとりが好きなんだ

 気楽なんだと

 自分自身に言い聞かせて暮らしていた。

 

 でも心の底では

 人と同じように生きられなかった

 コンプレックスに加えて

 そういう風に友達と旅行して

 楽しむなどという

 ごく普通の若者としての経験に

 心の底では

 身が悶え、わが身を呪うほど、

 悲しく、静かに飢えていたのだ。

 

 決して幸せだったとはいえない

 ツライことの方がはるかに多かった。

 それでも自分は愛され、

 自分らしく生きることを応援してくれる人がいる

 そんな幸せに

 今さらながら気づかせてくれた

 不謹慎ながらもそれが

 それが自分にとっての九州、熊本旅行であった。

 

 

 

 

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